岡山洋介 アスレ在籍7シーズン目。都立久留米高校から青梅FCでサッカーをプレイしていたが、大学卒業後に本格的にフットサルを始めた。バルドラール浦安セグンドを経て2012年に府中アスレティックFCサテライトに入団。そのころは笑顔がかわいい若者だったが、いつの間にかヒゲモジャでワイルドな風貌に。食べることが大好きで、八王子の行列店『煮干し鰮らーめん 圓』でアルバイトをしていたこともある。現在はホットドッグづくりに精を出す国分寺出身の31歳。

 

チームのために、自分の仕事を淡々とこなす。その裏にある葛藤と強い意志。

チームは生き物だ。
ひと試合ごと、1シーズンごとに成長する。そして新陳代謝のように数年かけて徐々に選手を入れ替え、脱皮することで大きく進化を遂げる。
今シーズン、アスレは大きく生まれ変わった。上福元俊哉、柴田祐輔、関尚登、三井健などここ数年のアスレを支えた実績ある選手が退団し、エスポラーダ北海道でキャプテンを務めた酒井遼太郎、同じく湘南ベルマーレのキャプテン上村 充哉という若い二人がチームに加わった。サテライトからの昇格組に加え、さらに8月にはフランスリーグ得点王・MVPの肩書を持つブラジル人PIVO、ジョーが加入するなど大きく血を入れ替えた。
新加入選手は徐々にチームにフィットし、主力としてアスレの好調を支えている。

しかしその一方で、チームが進化していく過程のなか、出場機会を減らしていく選手もいる。
今季でいえば、岡山洋介がその代表だ。
チーム在籍7年目の中堅。昨シーズンは第12節を除いた全試合に出場し、主力としてチームの勝利に貢献してきた。しかし今季の岡山は、怪我をしているわけでもないのに出場試合数、出場時間を大きく減らしている。第28節終了時点でメンバー外が4試合。そしてベンチ入りはしたが出場しなかった試合が6試合ある。
計10試合、つまり1/3超の試合で彼は出場機会を得られていない。

166試合出場はすべてアスレで。7シーズン目の中堅選手。

Fリーグ通算出場166試合(第28節終了現在)。2012年に府中アスレティックFCサテライトに加入、数ヶ月でトップチーム昇格を果たし6月16日に、初めてFリーグのピッチに立った。この166試合という数字はそこから7シーズンかけて積み上げた記録だ。
この出場試合数という数字を切り取れば、立派なものだ。いまのアスレでは完山徹一、渡邉知晃、田中俊則、宮田義人、皆本晃に次いで多い。
しかし、岡山はこの数字に全く満足していない。なぜなら昨シーズン得点王の渡邉や、日本代表の常連でありチームのキャプテン皆本晃などのチームメイトと比べると、出場時間では遠く及ばない。公式記録に残らない出場時間数の大きな差。岡山本人がよくわかっているからだ。
しかも今シーズンは、さらに出番が少ない。
「フィジカルもスピードも、自分には特別際立った能力があると思っていない」と岡山はいうが、7シーズンに渡ってFリーグの舞台に立てるのは、やはり選ばれた存在であり、アスレの勝利に貢献できる能力をもっているからだ。
ではなぜ出られないのか。
フットサルは緻密な戦術戦。勝利のためには個人の技術や能力はもちろん、息の合った連携というチーム力が重要だ。
相手のウィークポイントをつき、いかに得点をし、そして失点を防ぐか。
その時ピッチに立つ5人の選手は、対戦チームのメンバーや勝ち負けの状況、試合中の点差、順位によっても変化する。監督は常に最適解を求めてセットを組む。選手の組み合わせ次第で一気にゲームの流れを変えることも可能だ。しかしそのパズルのピースに、なかなか選ばれないのが今シーズンの岡山なのだ。
熟成が進んだ昨シーズンと違い、若い新加入選手とサテライトからの昇格選手を加えた今シーズンのアスレは、今までになくフレッシュだ。だから数年先を見据えた新しいチーム作りが必要になる。岡山が出番を減らしている理由のひとつには、そんなチーム事情もあるのだと想像できる。
もちろん、岡山はいつでも試合に向けて準備をしているが、出番のなかった試合、短い出場時間に終わった試合も、不完全燃焼な思いを抱えているだろう。しかし、岡山はそんな思いを表に出さず、淡々とした表情でいる。

岡山は自分の胸の内を吐き出すことなく、チームのために与えられた仕事をする。それがベンチで終わっても全力でチームメイトを鼓舞し、いつ呼ばれても大丈夫なように準備をする。
元々攻撃的なプレイヤーだが、後半の守備固めとして試合に出ればきっちりと役目を果たす。プレーオフ進出のために1戦も落とせないFリーグクライマックスへ向かういま、自分ではなく他の選手がピッチに立つことも、チームが勝つための最適解であることを受け入れている。

自分中心ではなく、チームの調和を考えてプレーをする。

子どもの頃から比較的おとなしかったという岡山は、国分寺市で育ち、小学校3年生のときにサッカーを始めた。後にFリーガーになるくらいだから子どもの頃から上手かったのかと聞くと、特に運動神経が良かったわけでもないという。
ただ、かっこいいサッカーウェアを着られることが嬉しく、サッカーがどんどん好きになっていった。何度もTVやビデオで見たワールドカップフランス大会のチラベルト選手や、アメリカ大会のロベルト・バッジョ選手のプレーに憧れて練習に励んだ。
その後も岡山はサッカーを続け、高校は都立久留米高校に進学。Fリーグ、海外でも活躍した元日本代表PIVOの小野大輔氏や、川崎フロンターレの中村憲剛選手など多くの名選手を輩出したサッカー部で活躍すると、東京都ベスト4という成績を残して大学へ進学。大学では部活ではなく関東リーグ所属(当時)のクラブチーム、青梅FCでプレーを始めた。
攻撃の中心として「圧倒的な存在」ではなかったという岡山のプレースタイルは、どこまでも謙虚。自分中心ではなく周りとの調和だ。
チームメイトがプレーしやすいパス、ポジショニング、そこに徹した。チーム全員でゴールに向かう。それを思ってシンプルなプレーを心がけた。

フットサルの魅力に取りつかれ、Fリーガーを目指すことに。

青梅FCでサッカーをプレーするのは楽しく、もっと上のステージでプレーすることを目指していたが、ある日友人に誘われて始めたフットサルの魅力と可能性に取り憑かれ、岡山はフットサル選手を目指すようになった。
セレクションを受けて合格したクラブからバルドラール浦安セグンド(下部組織)を選んで入団。サッカー経験から「それなりにできると」思って始めた競技フットサルだったが、やはりトップレベルは違う。ミニサッカーの癖が抜けず苦労をした。結局バルドラール浦安セグンドを1年数カ月で離れ、これで最後と思って入団した府中アスレティックFCサテライトでさらなるレベルアップを目指した。
新しいチームメイト、メンバーと、より一層真剣にフットサルに取り組む中で、自分が以前から心がけていた「シンプルに考えながらプレーする」ことを特に意識した。チームが得点するために、周りを活かすプレーを心がけた。
当時、府中トップチームの監督だった伊藤雅範氏は、監督業の傍らサテライトチームでもプレーをしていたが、新しく加わった岡山の献身性や意識が今のチームに必要なピースと思ったのだろう、わずか4ヶ月で岡山をトップチームへと抜擢した。そして数日後、岡山はついに憧れの舞台であったFリーグのピッチに立つことになった。
しかし、そこからが本当のスタート。安定した出場機会や目立った活躍もできず、サテライトへの降格も経験。「どうすればもっとチームの勝利に貢献できるのか」を考える日々が続いた。スピード、パワー、フィジカル、自分はどれも平凡だという岡山は、ゴールはもちろん他の部分で貢献する道を選んだ。
謙虚に周りを活かしてシンプルに。
6年半前、トップチームに昇格したときにコメントも、とても謙虚だった。ディフェンスをきっちりやって、シンプルに周りを活かす。岡山はそういうタイプのプレーヤーだ。

自分を支えてくれるすべての人への感謝の気持ちを持ってプレーします。Fリーグというフットサル最高峰の舞台にチャレンジするにあたって、“自分のすべてを賭ける”という覚悟を持ってプレーします。僕には人より特別に秀でたテクニックがあるわけではありませんが、ディフェンス、特に1対1の守備には自信があります。DFからチームを支えて、チームの勝利に貢献できるように頑張ります。皆さんに応援していただけるような選手を目指し、常に全力で戦います。応援よろしくお願いします。  昇格コメントより引用

スペインで感じたフットサルは、より自由だった。

その後も岡山はコンスタントに試合には出るが、出場時間も決して多くない。優勝を目指して毎年進化するチームの中で、圧倒的な存在にはなれていなかった。
フットサル日本代表経験もなく、圧倒的な得点力があるわけでもない。それほど目立つ存在ではない岡山は、フットサル選手としてどうすればワンステップ上のレベルになれるかを模索していた。
もっとプレーの幅を広げる、プレーの質を高める。チームを構成するピースのひとつである岡山自身が進化すれば、いろんなピースになれ、もっとチームの役に立てる。
その答えを探しに、世界最高峰のフットサルが繰り広げられているスペインに行くことを決めた。
2016年4月、シーズンオフ期間を利用して約1ヶ月間スペイン1部リーグのサラゴサへ練習参加。
世界中から一流選手が集まるスペインリーグは、ほんとうに素晴らしいものだった。
細かな決まりごとはもちろんあるが、もっと自由なフットサル。規律の中に自由があり、自由の中に規律がある。一人ひとりの基本技術や状況判断、多くのパターンが高いレベルで身についているから出来ることなのだろう。
サラゴサでの練習やチームメイトとの会話、そして世界最高峰の試合を観戦する中で「シンプルにプレーする」という今までの自分の考え方が間違っていなかったということを再認識できた。「これでよかったんだ」と実感し、自分のストロングポイントを伸ばす覚悟ができた。
そして色々な組み合わせができるアスレというパズルで、その一人として自分の仕事の幅を広げたいと心から思った。
充実したスペイン留学でたくさんのことを学んだ岡山は、日本へ戻り2016/17シーズンを戦った。岡山は絶対的なプレーヤーではないかもしれないが、周りを活かせるプレーヤーとして主力として引き続きアスレでプレー。短期間ではあったが、自分がやるべきことがあらためてわかった。そんなスペイン留学だった。

岡山が目指す、これからのストーリー

今シーズン、自分の出場機会が少ないという現実。しかし、立川・府中アスレティックFC トップチームのメンバーとして自分が出来ることは何かを考えて、行動している。たとえ試合で出場時間が短くても、ピッチに立てばその状況にあわせてプレーをし、勝利のために練習する。
岡山は今年32歳になる。いつまでこのチームにいられるか、Fリーグの選手として活動できるかはわからないが、まだ色々なことにチャレンジをしたいと思っている。スペインで感じた自由な空気。フットサルとの関係性も色々なやり方があると思うからだ。
岡山を含めて、多くのFリーガーはプロとはいえない環境でプレーしている。フットサルの練習をして、試合に出場するだけでは生活することができない場合がほとんどだ。スポンサーからの支援やスクールコーチ、または他の仕事をしながら、選手としてプレーしている。
そのひとつとして、岡山も自分のサッカースクールもスタートさせた。無邪気で必死な子ども達から気付かされることも多い。
眼の前の相手を抜く、パスをする、ゴールを決める。技術はあるが、自己中心的な子も、まだ下手だけど、献身的なプレーをする子ども。一人ひとりと向きあって話をすると、チームでの今の立ち位置と重ねて考えることもある。何が足りないか、何が必要か。スクール事業を通じて、一人でも多くの子供達の成長を見守りたいと考えている。
そしてもうひとつ、料理が好きな岡山がプロデュースするホットドッグを、アスレのホームゲーム会場で販売するプランも進めている。八王子の有名店「圓」で学んだ素材の大切さや調理の考え。そしてコラボすることになった武蔵境のハンバーガーショップ「コックテイル ハンバーガーズ」さんとのご縁も不思議だ。
そもそもなぜホットドッグかといえば、きっかけはたまたま渋谷でみかけたホットドッグの露天。
陽気な黒人が豪快に作ってくれたホットドッグに驚いた。シンプルだけど美味しかった。そんな自由な取り組みで、これからの人生を輝かせたい。
フットサル選手、スクールコーチ、そして飲食店と、岡山のやりたいことはたくさんある。
それらはすべて自らが希望して「楽しい」と思ってやっていることだ。
やりたいことは全部やる。「仕事」とはすべて人に喜んでもらえ、自分が役に立てること、だと思っているから。
小学生の頃に憧れたロベルト・バッジォやチラベルトのような選手にはなれなかったけど、自分がまだまだ輝ける舞台はある。Fリーグのピッチでもあり、飲食店でもあり、スクールコーチとしても。
自分はスーパースターにならなくてもいい、岡山の能力は周りを活かすこと。
その気持を忘れずに残りのFリーグの舞台に立つ。
スターティングメンバーでも、守備固めでも、ベンチでも。
岡山は与えられた仕事をきっちりとこなす。

※記事内における組織名、肩書、数値データなどは取材時のものです。


岡山洋介のTwitterアカウント

TEXT&PHOTO   KEN INOUE  2019.1.9