サンパウロ生まれの日系三世。親しみやすい笑顔と勝負師の厳しい表情が印象的。鬼軍曹的なイメージがあるが、もしフットサル選手として日本に来なかったら、ブラジルで弁護士になることも考えていたというアカデミックな一面も。現在は立川・府中アスレティックFC コーチ、府中アスレティックFCサテライト監督。

シュートがスローモーションで見える。その境地に到達した者たちだけの共通言語。

「シュートがまるでスローモーションのように見える。あの感覚はゴレイロにしかわからない」と、マルコスはいう。
そんなことがあるのだろうか。
確かに、交通事故のときに周りがスローモーションのように見えた、時間がゆっくりと感じられる、そんな話を聞いたことがある。それはオカルトではなく科学的にも立証されているのだ。人間が生命の危険を感じるような状況に陥ったとき、瞬時に脳が生命維持を最優先させるために信号を送り、血管を収縮させる。その結果時間がゆっくりと感じられるのだという。
つまり、脳が「生命の危険」を感じるほど至近距離から次々に放たれる強烈なシュートに、怯むこと無く身体ごと向かっていく。
世のゴレイロ達はそんな境地を日々経験しているということなのだ。
もはや畏敬の念を抱かざるを得ない。

ちなみに昨シーズンのリーグ戦、対戦相手がアスレゴールに放ったシュートは合計922本。1試合平均約28本だが、多い試合では40本を超えるシュートを打ち込まれることになるから、ゴレイロは息つく暇もないほど忙しい。さらに身体ごと飛び込んでくる選手との激しい接触プレーも頻繁にあるから、怪我が絶えない。
本当にゴレイロは過酷なポジションだ。
アスレの誇るゴレイロ陣は背番号1、元日本代表の田中俊則。そして背番号96番のクロモトと、Fリーグ全クラブを見渡してもハイレベルな両ゴレイロに、出番は少ないものの飛騨龍典も含めた3人ががしのぎを削る。
タイプやキャラクターが違う個性的なアスレのゴレイロ陣をまとめるのは、かつて名古屋オーシャンズ、デウソン神戸、そしてアスレでもゴレイロとして活躍し、現在はトップチームコーチ、そしてサテライトチームの監督を務める山田マルコス勇慈だ。「今でも選手として試合に出られるレベルにありたいと思ってるし、トシやクロモトにも負けないようにと思っている」というほど競技者目線で接している。

2005年にプロ選手となるため来日し、長く日本のフットサルに貢献してきた。

マルコスはサンパウロに生まれサッカー、フットサルをプレイ。競技者としてはもちろんだが、2002年からはサンパウロ大学のコーチを務めるなど指導者としても実績がある。しかし当初はプレーヤーや指導者の道ではなく、スポーツ学者あるいは弁護士資格取得のために勉強をすることを考えていたいという。どの道にせよ自分の能力、得意分野を活かした仕事に就きたい。そう思っていたマルコスの人生の転機となったのは、日本からやってきたビジネスマン、櫻井嘉人氏の誘いだった。
日韓ワールドカップのあとフットサルブームが起こり、日本中にフットサルコートがたくさん作られた。フットサルは気軽なスポーツとして急速に普及する一方、本格的な競技フットサルも盛り上がり、いよいよ全国リーグの創設に向かっていた。そんな時、日本最強のフットサルチームを創るためにブラジルにスカウトにやってきた櫻井嘉人氏(現名古屋オーシャンズGM)はマルコスのプレーを見て「日本でプレイしないか」と日本行きを勧めた。
学者としての仕事も考えていたが、海外で異国の文化に触れたいという気持ちもあり、マルコスは自らのルーツのある日本へ行くことを決めた。もともと自分の専門分野、能力を生かして海外で仕事をすることを希望していたが、それが学問ではなくフットサル、自分の天職と思えるゴレイロとしてのオファーだったからだ。
2005年9月。日本にやって来たマルコスはBANFF FCに加入し、安定した生活を約束された。翌年、チームは大洋薬品/BANFFと名前を変え、その頃には完全プロ契約となった。日本に帰化し日本国籍も取得。試合に勝つために練習して競技をすることが、自らの役目であり仕事となる。2007年から始まった日本フットサルリーグ「Fリーグ」、そこで勝つために創られたプロチームである名古屋オーシャンズのメンバーとして、森岡薫や上澤貴憲、完山徹一などと初年度のFリーグを戦った。肩の脱臼など怪我に悩まされることが多かったが、サテライトも含めて2010年まで名古屋でプレーを続けた。

お世話になった名古屋を離れて、デウソン神戸へ移籍

「フットサル日本代表に入ってワールドカップに出場する」。
その目標を持ち続けていたマルコスは、このまま名古屋オーシャンズでのプレーを望んでいた。しかしクラブからは「プレーヤー引退、GKコーチ専任」の打診を受けた。マルコスは「自分はまだ選手としてトップレベルでプレーできる」という思いからその申し出を拒否し、名古屋を離れることを決めた。
櫻井氏との出会いが無ければ日本に来ることもなかっただろう。そう思うと、名古屋を離れることはとても辛い決断だった。
「スタッフやチームメイト、サポーターなど名古屋の人には本当にお世話になったので、他のチームに移籍をして名古屋と戦うのはとても複雑で、悲しい気持ちだった」。
しかし自分の夢のためには、まだ引退できない。名古屋と対戦して自らの実力を証明しなければならない。
「その先に日本代表入り、そしてワールドカップ出場につながっているから」とマルコスは移籍を決断した。
移籍先に選んだののは、デウソン神戸。
Fリーグ3連覇を果たした名古屋オーシャンズは、国内外から実力ある選手が集められ、さらに練習施設や待遇面など素晴らしい環境が用意されていたし、どこにも隙がないように思えた。名古屋に勝つのは容易ではない。
しかし、そのタレント集団という性格ゆえに「チームの一体感・組織力」で挑んでくるチームに勝てないこともあった。
当時のデウソン神戸には現在デウソン神戸の監督を務める鈴村拓也、まだ新人といってもいい頃の吉川智貴、西谷良介(現在二人とも名古屋オーシャンズ・日本代表)。マルコスの弟で2010/11シーズンの得点王となる山田ラファエルユウゴ、後に府中でチームメイトとなる田中俊則などそうそうたる選手が集まっていた。圧倒的なタレント集団の名古屋に対して、チームワーク、組織力で対抗する。それができるチームがデウソン神戸だった。名古屋にない強みを持つ、魅力的なチームをつくれることが、神戸を選んだ理由だった。
そして迎えた2010/11シーズン、マルコスはデウソン神戸の背番号1を背負い、開幕戦からプレーした。シーズンが終わってみると最終的に過去最高となる2位でシーズンを終えたが、名古屋オーシャンズの連続優勝を止めることは出来なかった。さらに名古屋との対戦成績は0勝3敗に終わった。しかし、簡単に打倒名古屋は実現しないものの、手が届かない距離ではない、もっとできるはずだ。そう思える収穫の多いシーズンとなった。

神戸から府中へ。努力と実力でトップチーム昇格を。

しかし神戸での安定した日々は長く続かず2シーズンで退団。引き続き選手の道を模索していたが、プロ契約で生活するのも難しく、引退が頭によぎった2013年シーズンを前に、府中アスレティックFC、中村恭平GMと話をする機会があった。中村の「力になってほしい」という誘いに快諾し、マルコスはすぐに府中へ行くことを決めた。中村はどちらかといえばGKコーチとしてのオファーだったらしいが、自分はまだまだトップレベルだと選手としてのアスレ入りを望んだ。
谷本体制一年目のシーズン、ゴレイロは田中俊則と柿原聡一朗が揃っていたため、不本意ながらまずはサテライトチームに所属することとなった。既に新チームの陣容が固まっていたときに、後から来た自分の居場所が無いのは当然。素晴らしい待遇と環境を与えられていた名古屋オーシャンズのプロ生活から考えれば、決して満足のゆく生活ではなかったが、府中の人たちのあたたかさや優しさ、人間的な心地よさがあったし、この場所を与えてくれた府中のために恩返しをしたいと努力をし続けた。
その結果、シーズンの半ばには自らの努力でトップチーム昇格を果たし、再びFリーグの舞台に立つことが出来たのだ。

コーチとして、監督として日本一、世界一になりたいと、新たな目標を定めた。

2013/14シーズン限りで選手引退後、アスレの仕事、コーチ、サテライト監督の他にも様々なことに挑戦したマルコス。U-20日本代表のGKコーチやAFCのインストラクター、さらにはチャイニーズタイペイ代表チームのGKコーチなど、積極的に挑戦している。
選手としては日本代表には入れなかったし、大成功したキャリアとはいえないかもしれない。しかし、監督やコーチ、スタッフとしてこれからまだまだその可能性はある。
自分にできることを貫く。よいゴレイロを育て、日本一、世界一になるために。
そのひとりが、今シーズンアスレを離れてFリーグ選抜に加入した山田正剛だ。
府中育ち。アスレのスクール、下部組織で育った生え抜きのゴレイロ。U-20日本代表にも選ばれる実力はありながらも、ゴレイロの層が厚いアスレでは出場機会が限られるため、山田正剛は今シーズンから生まれ育った府中を離れてFリーグ選抜チームの一員として、フットサル漬の毎日を送っている。
マルコスはその山田正剛に対して、センスや技術はもちろん、日本人ではなかなかいないメンタルの強みを感じていた。
「マサはまったくプレッシャーを感じない。どんな大舞台でも物怖じしないし、いつでも本来の実力が出せる」と。
「実績や経験で開きのあるトシやクロモトとの競争じゃなく、身近なライバルと競争する。ハングリーさを持てばもっと良くなるだろう」
マルコスが望んだ通り山田正剛は、同世代のゴレイロ坂桂輔と切磋琢磨し、急速に成長をしているようだ。そしてアスレにとってやっかいなことに若いチームは躍動し、今シーズンアスレはFリーグ選抜に対して1分1敗と勝ち星を挙げられていない。
優勝を目指すチームとしては、とても痛い結果ではあるが、将来のアスレ、Fリーグ、日本のフットサル全体で考えたときには、若い選手が経験を積み、レベルをあげるのは素晴らしいことだと思う。
Fリーグ選抜との対戦は、まだもう一試合残っている。2018年12月15日、小田原アリーナで対戦する。もう山田正剛に、Fリーグ選抜に負けるわけにはいかない。
試合後、挨拶にきた山田正剛との会話を、マルコスは今から楽しみにしている。

※記事内におけるチーム名、肩書、数値データなどは取材時のものです。


マルコスのTwitterアカウント

TEXT&PHOTO   KEN INOUE  2018.11.14