生まれも育ちも府中市。子供の頃からサッカーをプレーしてきたが、高校時代テーピングの効果が面白く興味をもつうちに、いつの間にか選手を支えるトレーナーの道へ進んだ。東府中駅前で「かわぐち鍼灸院整骨院」を営むかたわらアスレがFリーグに参入した時からトレーナーを務めている。だから、ある意味もっとも選手に近いところで喜びも苦しみも感じてきた。

Fリーグ参入以来、すべての選手の怪我や苦しみを知っている。だから、怪我なく全力プレーをできるようにサポートしたい。

もしあなたが選手だとしたら、試合前にふと感じた足の違和感を「足がおかしい」と正直に話すだろうか。
フットサル、サッカー、そして野球でも。そしてプロもアマチュアも少年でも関係なく、苦労してようやく掴んだポジションであればあるほど、多少無理をおしてでも試合に出たいだろう。
「チャンスを失いたくないから足が痛いと言えない」。その気持ちは競技者ならやむを得ないと思う。しかし、その判断でのちのち後悔をすることとなる選手は多い。

「いっときの無理が、一生尾を引くこともある」

痛みを我慢した結果、故障が酷くなる。立川・府中アスレティックFCのチーフトレーナーを務める川口康宏は、あちこちでそのような選手を見てきた。だから今、アスレの選手たちが口に出さない些細な変化にも気づけるよう、人一倍敏感でありたいと思っている。

それは、試合中の川口の姿を見るとよくわかる。

ベンチのスタッフ、アップをしている選手含めて全員がボールの行方を追い、声を出し手を叩いて選手を鼓舞している中で、ひとり冷静な視線で選手の表情や走り方を注視している。ベンチから試合を見る視線が、監督や選手とは明らかに違うのは、選手の状態をこまかくチェックしているからだ。

狭いピッチを全速力で走り回るフットサルは、激しい接触プレーがよく起こる。どこか痛めたのか、選手が倒れ込みすぐに起き上がれない。そんな時、川口はレフェリーに合図されるとすぐさまピッチに飛び出して選手のもとへと急ぐ。それは、今起こった接触で起きた痛みかそうではないかが、川口にはわかるからだ。

立川・府中アスレティックFCのチーフトレーナーの仕事、役目はたくさんあるが、大きくいえば選手が100%の状態で試合に挑めるようにサポートをすること。具体的には練習、試合の前後に選手のコンディションを整えたり、痛みをとることはもちろん、怪我の応急処置をすることもある。そして北海道から九州までのアウェイゲームにも帯同するから、川口の毎日は多忙を極める。

川口はアスレのトレーナーとしての活動だけでなく、東府中駅前の「かわぐち 鍼灸院整骨院」で柔道整復師、鍼灸師として一般の人の身体のケアを行っている。そこには朝からたくさんの人が訪れるが、アスレの練習は主に平日の午前中。

川口は朝9時頃、練習が始まる前にコートへ向かい、各選手の状態を把握して必要があればテーピングをしたりストレッチなどの準備やケアをする。そして練習が始まるといったん整骨院にもどり、一般の人の治療を行う。

練習が終わる12時頃になると、再びコートへ戻り、今度は練習が終わった選手に対して鍼やマッサージを施すなどをして、ケアを行い、常に選手が100%でいられるようにコンディションを整える。

明日の練習のため、週末の試合のために。さらには、長いシーズンを戦い抜くために必要なことなのだ。

いつしか、プレーヤーからトレーナーへと

府中市に生まれ育った川口は、小学生からサッカーをプレーしていた。その後地元の先輩であり、現クラブGMの中村恭平に「フットサルをやらないか」と誘われてフットサルをプレーするようになった。
そのチームは府中水元クラブ。1996年に第一回全日本フットサル選手権に参加し、第二回大会では日本一に輝いた日本フットサル黎明期の伝説的なチームだ。メンバーには、これまた日本フットサル界のレジェントといえる上村信之介選手などが在籍していた。
川口は「全国優勝するようなチームでしたので上手い選手が多く、自分のレベルでは試合に出れないことも多かった」という中で、いつしかテーピングなど裏方的な役割をするようになった。
もともと高校時代から自分が怪我がちだったため、体のメンテナンスやテーピングを勉強し、チームメイトにも施すことで喜んでもらえたという経験があったからだ。それ以前に、自分が足を痛めて整骨院に通っていた時、外見ではわからない筋肉の状態を判断して、適切なアドバイスをくれる整骨院の先生を「どうしてそんなことがわかるのだろう」と不思議に思っていた。川口は先生に色々と質問をしたり話をしているうちに、自分ももっと身体のことを勉強したいと思うようになった。
生涯の仕事としてスポーツトレーナーの道を志したのはこのころだ。
とはいえ、大学の経済学部で学んでいた川口は、全く畑違いの分野へ進むことを希望しながらも、大学の学費を出してくれた両親の手前、一度は一般企業に就職をした。しかしそれからも「やはり自分の手で人を助けたい」という思いが強くなり、柔道整復師の資格をとるために働きながら学校へ通い、国家資格を取得しついには2003年にかわぐち整骨院を開業するにまでなった。

その後も、より高いレベルになるために鍼灸師の資格取得の勉強をしながらも、2005年から上村信之介らが立ち上げたフットサルチーム FUTUROのトレーナーを務めていた。自分は一線でプレーはしないが、選手を裏方として支えることに夢中になっていた。

トップレベルの選手を支えたいと、アスレのトレーナーに

そして2009年、府中アスレティックFCが念願かなってFリーグに参入することになった時、経験豊富なトレーナーを求めていたクラブの誘いもあり、アスレにトレーナーとして参加することになった。
「選手としてはプレーできないが、トップリーグの舞台で活躍する選手のサポートをしたい」という思いがあったからだ。
そこから、毎日の練習、毎週の試合、時には全国各地への遠征もあり多忙な日々が始まった。
遠征でスタッフが少ないときには、入れ替わった選手に給水ボトルを渡すなど、ほんとうに忙しく動き回っている。
「選手によっては冷たいのがいいとか常温がいいとか。さらにはすぐ飲みたいとか後でいいとか。みんな注文や好みがバラバラなので覚えるのも大変ですよ」と困った顔でいうが、川口はとてもうれしそうだ。トップリーグで戦う選手を支える充実感が、あふれている。

痛みから解放されてスポーツを楽しみたいと、色々な人がやってくる。

川口はアスレのトレーナーとしてだけでなく、整骨院での治療が本業ではある。そこには、テニスで足首を痛めた主婦や、膝が痛いという小・中学生などスポーツで故障を抱えている人が多く訪れる。
当たり前だが、Fリーグ選手も主婦も、基本的には身体の構造は同じだ。
骨があり腱があり筋肉がある。
一人ひとりの症状と向き合い、適切な対処で痛みをとり、その痛みの原因を調べる。そうすることで同じ痛みが出ないようにするのだ。それは、フォームの癖だったり日常生活の改善で治ることもある。
それが人生をかけてトップリーグでプレーする選手でも、生涯スポーツとして週末テニスをする人も同じだ。痛みはストレスになり、プレーできないことがより大きなストレスになる。些細な痛みを放置することで何年もプレーできなくなり、人生の楽しみを失ってしまうこともある。
一人でも多くの人がスポーツを楽しめるように、川口は毎日遅くまで、治療にあたっている。

すべての選手の苦しみも喜びも、ともに歩んできた。

川口はある意味、Fリーグ参入以来のアスレの歴史を知っている。所属した全選手の怪我や苦しみ、そして復活した喜びも知っている。
Fリーグ参入初年度に、泥沼の13連敗のトンネルにはまっていた時、怪我明けの宮田が見事な決勝ゴールを決めたことは思い出深い。

逆に、怪我で苦しんだ選手を思うと胸が痛い。森拓郎や小檜山譲、三井健もそうだったが、その筆頭はやはり上澤貴憲だろうか。
 Fリーグ初年度から名古屋オーシャンズでプレーし、日本代表でも活躍しアスレへ加入した。そのプレーは多くの人を惹きつけ、アスレの歴史で最も光り輝いた選手だったが、故障が原因でピッチを去った。
本当に残念だ」と川口は言う。

怪我や故障で苦しんだ選手の分も、いま現役で戦っている選手は元気でプレーしてほしいと願っている。

決して過去の選手の意識が低かったというわけではないが、今いるメンバーはとてもセルフケアの意識が高いという。
プレーや技術のレベルが上っているのと同様に、アスリートとして身体を大切にしなければならないという意識レベルがとても高い。
他人に言われるまでもなく、自分の身体と向き合い、コンディションを把握する。自分の身体は自分でケアをし、常に100%のコンディションでいられるようにしているのだ。
その筆頭は内田隼太だという。かつてのエース、上澤貴憲の背番号を受け継いだ若き日本代表、新世代のエースである内田は、少しでも自分の身体に違和感を感じたら「ここが痛いけど何が原因か」「どれくらいで痛みがとれるか」などをすぐに聞いてくるという。
そんな内田に対して川口は「やはり代表を経験しているのが大きいと思います。代表に選ばれるのは栄誉だけど、試合数も増えるし、自分でケアをしなければコンディションも下がるし生き残れない」と分析する。
チーム最年長のベテラン完山徹一や、フットサル日本代表選手である渡邊知晃、皆本晃は特にセルフケアを徹底している。
そしてそんな彼らの姿を見て上村充哉など若い選手も、コンディション調整に熱心に取り組んでいる。
そんな選手と毎日対話しマッサージや鍼を施しながら、川口は心から「故障しないように」「全力でプレーさせてあげたい」と思っている。
故障が原因でピッチを去った選手の分まで。
※記事内におけるチーム名、肩書、数値データなどは取材時のものです。


川口康宏のTwitterアカウント

TEXT&PHOTO   KEN INOUE  2018.7.13