森拓郎。白糸台幼稚園、府中二小、府中一中卒。サッカーの強い都立駒場高校進学を目指したが、満員電車の通学に耐える自信がなく断念した。アスレ創設以来長くチームに在籍し、あらゆるカテゴリでプレーし、昨年東府中に「たこ焼きとホルモン酒場 ゑえやん」をオープン。店長として店を切り盛りする。童顔と言われるが、1982年生まれはアスレの谷本監督、宮田選手と同じ世代で、フウガドールすみだの須賀監督などフウガ創設メンバー達とも同い年。もし拓郎が都立駒場高校に進学していたら、フウガでプレーしていたかもしれない。

フットサルから離れた今だから、見えてくる疑問もある。しかし、日本ならではのフットサルカルチャーを期待している。

森拓郎は怒っている。
「なんか今のFリーグはパッとしないよね。観客数も減ってるし」
「満足しなければお金はいりません!は極端だけど、たとえばチケット代金後払いにしてみる、とかもいいんじゃない?それくらい思い切ったことに挑戦して欲しい」
そんな厳しいことを言いながら、Fリーグの奮起に期待を込める。

拓郎自身、Fリーグができるもっと前から府中アスレティックFCでプレーし続け、そして昨年、フットサルの現場から離れた今だから、見えてくるものがある。
選手もクラブも、ずっと頑張ってきたのだから報われて欲しい。
贔屓目なしに、フットサルの試合を観戦することはとても面白いと思うし、今シーズンからアスレが始めた試合前のド派手な演出が好評で、話題になっているというのも嬉しく思う。
だからこのスポーツを、一人でも多くの人に見てもらいたい。OBとして拓郎は、古巣のアスレに期待しているし、Fリーグ全体がもっと盛り上がって欲しいと思っている。

西高東低を打開すれば、変わるかもしれない。

拓郎がフットサルをはじめた頃は、フットサルの中心は強豪クラブが鎬を削る、府中をはじめとした関東エリアだった。しかし、Fリーグが誕生してから11シーズン中10度の優勝を名古屋オーシャンズが独占し、関東のクラブは栄冠を手にしていない。
唯一名古屋がリーグタイトルを逃した2016-17シーズンに優勝したのもシュライカー大阪と、Fリーグの結果だけをみれば西高東低の傾向は明らかだ。
やはりそれがいまひとつ盛り上がりに欠ける要因のひとつなのだろうか。
確かに、フットサル専用アリーナをもち、豊富な資金力を背景に良い選手を集める名古屋が強いのは仕方がない。しかし他のスポーツでも、最もお金をかけたチームが毎年優勝するかといえば、そうではない。
「打倒名古屋」。やはりみんな、ジャイアントキリングが見たいのだ。
だからアスレをはじめとする他クラブは『今年こそは優勝するぞ』という思いを表し、応援してくれるファンを期待させる。
現にペスカドーラ町田はこの2シーズン、連続でプレーオフファイナルへ進出し、日本一まであと一歩と近づいている。さらに森岡薫やヴィニシウスという『わかりやすい』補強もしてファンを大きく期待させている。
もちろんアスレも2015-16シーズンにはファイナルへ進出し、常に上位で戦っている。皆本晃と渡邉知晃の日本代表コンビが活躍し、若きエース内田隼太も成長著しい。さらに今期は実績と将来性豊かな若い選手が加入し、明るい材料が増えたと感じられる。
だが、選手やクラブの頑張りのわりに、広いアリーナ立川立飛が満員になることは無く、拓郎がいうようにリーグ全体に「パッとしない」雰囲気があるのも事実だ。
よほど大きなテコ入れがないと、これからの大ブレークは難しい。
そのためには、Fリーグ以前の『スーパーリーグ・関東リーグ』の盛り上がりを知る、拓郎のような意見も必要なのかもしれない。

大人たちの本気の遊び、それがスーパーリーグだった

「それこそスーパーリーグの頃は、選手や観客はもちろん、運営する人たちも全員が楽しんでいたと思います。Fリーグになって遊び心が減ったのかなと思いますね」
と分析する。
拓郎が言う『楽しかったスーパーリーグ』とは、2001年から3シーズンのみ存在してたフットサルリーグのこと。『日本にフットサル文化を作りたい!盛り上げたい!』と本気で考える大人たちが、公も私もなく必死で立ち上げた真剣勝負かつエンタテインメントの舞台だった。
そこには、勝ち負けと同じくらいの遊び心が詰まっていたし、選手も観客もリーグ全体が楽しんでいた。ある意味、フットサルに人生を掛けた男たちの、本気の遊びだった。
拓郎がフットサルをはじめたきっかけは、高校生のころ遊びで蹴ったこと。そしていつの間にか地元の先輩達がつくったチームのメンバーになり、上手い人たちと一緒にプレーをするようになった。
「あの人たち上手いなぁと思ったら、日本代表選手だったとかは日常茶飯事でした」。
フットサルの奥深さを楽しみ、どんどんのめりこんでいった。
そのころ関東では、アスレの他にもカスカヴェウ、ロンドリーナ、プレデターなど、現在のペスカドーラ町田や湘南ベルマーレ、バルドラール浦安の前身となった有力チームが競い合っていたが、通年のオフィシャルリーグが存在しない時代だった。
戦う場が少なければ創ればいい。
この競技を大きくしたい、本気でフットサルを盛り上げたいと考えていた人たちは、そう思って真剣勝負かつ夢の舞台である『スーパーリーグ』を自分たちの手で立ち上げた。
そして、スーパーリーグは人気を博し、競技フットサルを観戦、応援するという文化が生まれ、多くの観客を集めた。フットサルの魅力が詰まったプレーやテクニックに、フットサル人気が爆発していった。
その後フットサル人気とともに関東リーグが盛り上がり、さらには全国リーグであるFリーグが産声をあげるようになったころも、拓郎はアスレでプレーし続けていた。
まさかのF落選も経験し、2007年シーズンは主力が誰もいなくなった若いチームのキャプテンとして関東リーグを戦った。そしてフットサルをはじめて10年になった2009年には、Fリーグのピッチに立つことになった。

Fリーグの舞台に立ってから、9年が過ぎた。

今から9年前。2009年8月22日、12時3分キックオフ。
この時、Fリーグ誕生から2年遅れて参入した府中アスレティックFCは、国立代々木競技場第一体育館で開催された2009年シーズン開幕戦を王者、名古屋オーシャンズと戦っていた。
森拓郎は、このピッチに立つことを許されたスターティング5の一人だった。
その試合の観客数は5,060人。
2,000人を超える試合がほとんど無い今のFリーグでは、ちょっと考えられない大観衆といっても良い数だ。
9,000人以上が入る広い代々木では、それでも満員にはならなかったが、あの日ピッチから見上げた観客席の風景を今でも覚えている。
こんな大勢の観客の前でプレーするのは初めてのことで、サポーターも府中からたくさん駆けつけてくれて嬉しかった。
しかし拓郎は、「確かに5,000人の大観衆は凄かったけど、熱気や観客の盛り上がりは、スーパーリーグ時代の方が、凄かったかもしれません」と振り返る。
駒沢や府中の体育館は狭いけれど、ひとつのプレーや劇的なゴールで、満員の体育館が揺れる。観客の数は比べ物にならないが、熱さはあった。
ある意味、まだこのときの日本のフットサル文化には、代々木という箱は大きすぎたのかもしれないと、拓郎は考える。

拓郎がスペインで感じたのは、成熟したフットサル文化

2010年、拓郎はアスレを離れて、スペインへと渡った。世界中からトップ選手が集まるフットサルの中心ともいえる国で、技術はもちろん世界最高のフットサル文化そのものを吸収したいと思ったからだ。
そこで感じたのは、街ぐるみでフットサルを愛し、選手もクラブも、審判すら育てるような熱い空気だった。
子供から高齢者まで、わが町のクラブを応援する。
フットサルの街、府中もそんな街になればいいなと憧れる。トップチームを応援するだけでなく、ユースなど下部組織、女子チーム、さらにはエンジョイチームまで、様々な人がフットサルをプレーしているアスレなら、できるのではないか。
さらには、試合の後に居酒屋で戦術論を語る人もいれば、クリニックやスクールで学んだりと、それぞれのレベルでフットサルを楽しみ、プレーしている人達がいる。
スペインと同じじゃなくてもいい、日本独自のフットサルを楽しむカルチャーが育まれれば良いと思う。そのために自分も、元フットサル選手として、色々なことを伝えていきたいと思っている。だから、今のFリーグの取り組みにはちょっと厳しいことも言っておこうと思うのだ。

府中でうまれ立川で広がる、アスレのフットサル文化を、見守っていきたい

アスレは郷土の森を失った。確かに、慣れ親しんだ体育館が使えなくなったのは残念だけど、サテライトや女子のホームアリーナであり、もちろんここで試合をしている。
さらにいえば、アスレだけでなく様々なカテゴリ、たくさんのフットサルの試合が総合体育館では行われているし、何より多くの市民がフットサルを見るだけでなく『蹴る』のは素晴らしい。
30年以上前から市民フットサル大会をやっている府中市は、やはり特別な街だ。こんなところは日本中探してもそうないだろう。
そして新たにトップチームのホームタウンに加わった立川市も、バスケットなど様々なスポーツに力を入れている。府中の人は誇りが高いから、新しいアリーナに来てもらうには少し苦労するかもしれないけど、立川にも、もっとフットサル文化が根付けばいいなと思っている。
そしてトップチームの選手たちにも言いたい。
「引退したオヤジの小言じゃないけれど、本当に今の若い選手たちは恵まれていると思います。午前練習をして、食事のサポートもしてもらい、仕事もある。そしてFリーグ優勝という目指すべき目標が存在している。これらは全て、15年前には何もなかったものばかり。アスレだけじゃなく、町田の甲斐さんや日本のフットサルを盛り上げようとゼロから創り上げた人たちに、感謝をしてほしい。ほんと僕のころからは考えられないから」
と、厳しい表情でいう。
そしてサポーターやスポンサーにも「もっと選手に厳しいことも言って欲しい」という。
「決して今の選手が甘えているとは思わないけど、昔から比べたら素晴らしい環境でプレーさせてもらっているのは間違いないはず。それはスポンサーやサポーターのお陰。選手とファンの距離が近いのはフットサルのいいところ。良かったことはもちろん、愛を持って悪かったことも声を出して伝えて欲しい。ただ応援するのではなく、つまらなければ、つまらなかったと言ったほうが選手やクラブのためになると思うから」。
しかし、そんな厳しいことも言いつつもフットサルを離れて飲食店経営の道に進んだいま、自分がフットサル界に恩返しできることはしていきたいと考える。
さらに、「自分ももっとがんばります。今の飲食店をもっと広げたいですし。そうして、若い選手達に腹いっぱい食べさせてあげられるようになりたいですね」と笑う。
拓郎は今のFリーグに対して危機感を持って怒っているが、真剣に考えている。
後輩思いの、優しい先輩である。
※記事内におけるチーム名、肩書、数値データなどは取材時のものです。
たこ焼とホルモン酒場 ゑえやん

TEXT&PHOTO   KEN INOUE  2018.8.14