STORY. 16 MASAHIRO DAITOKU支援してくれる人のために、みんなを喜ばせたい。その先に初めて、自分の喜びが見えてくる。

大德政博 1992年徳島生まれ浦安育ち。小学生でサッカーをはじめたら、息子より父親が夢中になってパパコーチに。尊敬する父親は不動産会社の経営者として活躍中。だからか、セカンドキャリアは指導者というより経営者としてスポーツに関わりたいと思っている。自身も宅地建物取引士であり、株式会社エムディーネクスト代表を務める。現在は東京スタイル不動産に勤務。

支援してくれる人のために、みんなを喜ばせたい。その先に初めて、自分の喜びが見えてくる。

フットサル選手は何のためにプレーするのか。

勝負が好きだから、夢を叶えたい、生活のため。様々な理由があるだろう。

特に全員がプロ契約ではないFリーグの場合、夢と現実の間で苦しむことも多い。

海外でプロ契約選手としてプレーし、今シーズンからアスレでプレーする大徳政博は「自分の目標のため、そして今までお世話になった人のためにプレーしたい」と語る。

人の縁だけで、現在までつながってきたフットサル人生

きっかけは高3でサッカー部を引退したころ。コーチに言われた「大德はフットサルに向いているよ」という一言。

早速、地元バルドラール浦安セグンド(下部組織)の門戸を叩き、練習生となった。しかしサッカーと競技フットサルは似て非なるもの。

「子供の頃からずっとサッカーはプレーしていたけど、フットサル特有の動きができず、苦労した」というように、すぐにうまくプレーできたわけではない。

当時バルドラール浦安セグンドの監督だった岡山孝介氏(現トルエーラ柏監督)に「試合経験を詰めばもっと成長するから」と、千葉県リーグのLUFTというチームを紹介される。

そこで出会ったのは、前アスレTOPチーム監督の谷本俊介。

当時谷本は東京でエンジニアとして働く傍ら、LUFTで選手兼監督としてプレーしていた。
そこでフットサルを学ぶと、大德は千葉県選抜に選ばれるなど急速に実力をつけていった。

その後谷本はチームを離れ府中アスレティックフットボールクラブのクラブスタッフに転身。本格的に指導者の道へ。

浦安の自宅から八王子の中央大学へ通学していた大德は、谷本を追うように府中アスレティックFCサテライトのセレクションを受け、入団することとなった。

アスレでの出番は無かったが、伊藤監督ともに大分へ

昼間は大学の勉強と長距離の通学、そして夜はフットサルの練習、休日は試合というハードな生活ながら、レベルの高い選手とプレーする喜びと激しい競争に、大德はますます競技フットサルの魅力に引き込まれていった。

そして2年が経った2012年5月、若干20歳の大德はトップチームへと昇格する。

2012-13シーズンのアスレは伊藤雅範体制2年目。開幕戦のFPメンバーには宮田義人、完山徹一、上福元俊哉、山田ラファエルユウゴ、星龍太、小山剛史、柴田祐輔、ロドリゴ、ダンタスという顔ぶれ。

本格的に競技をはじめて2年の大德に出番は回ってこず、トップ昇格はしたものの1試合も出場機会を得られないまま、シーズン途中に再びサテライトに籍を移してプレー。しかし、サテライトでは全日本フットサル選手権予選を勝ち進み、全国大会までプレーすることができた。

その選手権でのプレーを認められ、大德は翌シーズンから伊藤雅範監督とともに強豪バサジィ大分へと移籍することとなる。

大分で味わったのは、自分の甘さ。

Fリーグでの経験はまだ無いが、イキのいい若手として期待されていたののだろう。伊藤雅範新監督は、開幕戦で途中出場ながらも大徳をピッチへ送り込み、大徳は初めてFリーグのピッチに立つことができた。

大学を休学して大分へ。競技に集中できる環境と待遇を用意してもらい、Fリーグにも出場。自分のフットサル選手としての道は、それなりに順調だと慢心していたのかもしれない。

この年のメンバーは仁部屋和弘、小曽戸允哉、中村友亮、ディドゥダなど分厚い選手層。新人の出場機会は限られる。

「もっと長い時間プレーしたい」と思ってトレーニングはしていたが、自分とはレベルの違う『人間力』を知ることとなる。

 

とあるオフの日、大德がチームメイトと外出して明け方に寮へ帰ると、そこには黙々と周辺のゴミ拾いに取り組むキャプテン小曽戸の姿があった。

普段から小曽戸は誰にも言われるでもなく、誰よりも早く練習場へ行き、他の選手が集まる1時間前から黙々とルーティーンをこなしている。

背中で語る、それが小曽戸のやり方だった。

どこまでも謙虚な小曽戸の姿。自分を律し、全身全霊でフットサルに取り組む先輩と比べ、競技レベルも低い自分が遊んで朝帰りをしている。その姿を見て、大德は根本から考え方を改めた。

支援してくれる人たちがいるから、プレーできる。

自分は誰のおかげでプレーできているのか。すべて支援してくれる人がいるからだ。

競技にはユニフォームや練習着、シューズ、練習や試合の施設利用料、遠征費用など様々な費用が発生する。千葉で競技をはじめた頃は、会費を払い、ウェアや用具も自分でお金を出してプレーしてきた。それが当たり前だ。

しかし、バサジィ大分では、それらの費用を支払う必要はなくなった。

逆に言えば、それらの費用はすべて『誰かが稼いだお金』で賄われている。

クラブがスポンサーを募り、スポンサー企業が協賛費を支払う。ファンが買うグッズやチケット、スクール事業の収益などもそうだ。数えきれない程の人たちが仕事をしたお金。その積み重ねで自分たちがプレーできるのだ。

誰よりも早くトレーニングをし、休日は周囲の掃除をする小曽戸。そして小曽戸より早く練習場へ来て鍵を開け、まず練習場の掃除をする伊藤監督の姿から、自分がいかに恵まれた立場にいるか、その重みを理解した。
受けた恩、それはプレーでしか返せない。

そして大德は、伊藤監督より早く練習場へ向かうようになった。

湘南ベルマーレへの移籍、そしてブラジルへ

支援してもらえることの感謝を胸に戦った2年目。出場時間も増えて徐々にチームに貢献できた。しかし、大学を2年しか休学できないため、翌シーズンからは大学に通える関東のクラブでプレーすることを希望した。

自分の個人的な事情のために伊藤監督が湘南ベルマーレフットサルクラブへ繋いでくれ、2015-16シーズンから、緑と青のユニフォームに袖を通すこととなった。

主力として2シーズンプレイし、湘南ベルマーレでの安定した生活とファミリーのようなクラブ、熱いサポーターに満足していたが、このままでは夢を叶えることができないのではないか、そんな気持ちがわいてきた。

自分がフットサルを続ける以上「フットサル日本代表に選出され、ワールドカップに出場し勝利に貢献したい」と強い思いがあった。その道筋がはっきりと見えてこない。

このままFリーグで試合に出場していれば、いずれ1度くらいは代表合宿には呼んでもらえるかもしれない。でも今の自分ならその程度で終わってしまうだろう。ワールドカップで活躍できるレベルはまだ遠い。

安定と裏腹に危機感をつのらせた大德は、そのためには環境を変えよう、フットサル強豪国に飛び込んでみようと決める。ブラジルでフットサルをプレーすることを決めた。

そして2017年9月24日、古巣大分でのバサジィ大分戦に勝利したのち、入団テストを受けるためにブラジルへ旅立った。

異国での経験が精神的にも強くなった。

実はアスレサテライト時代、1ヶ月ほどブラジルにフットサル留学に行ったことがある。観光も何もなく、ひたすら異国の地でボールを蹴る濃密な時間を過ごした経験があった。

あれから何年も経ち、日本のトップレベルを争うチームでフットサルをしてきた。自分のドリブルやスピードがブラジルでもある程度通用する自信は持っていた。

とはいえ、フットボール後進国から来た選手なんてまるで相手にされない。観客からは野次られ、アウェイゲームに行けば中指を立てられる。

しかし練習で意思疎通ができるようになり、思ったようなプレーができるようになると、はじめは訝しげに見ていたチームメイトやファンも、心をひらいてくれた。

重要な試合でゴールを決めると、手のひらを返して熱烈に応援してくれるようになった。言葉もほとんどわからなかったが、プレーに関する言葉は徐々に覚えて、最終的には「外国人選手」として契約してくれることに。単身ブラジルに渡って数ヶ月、ようやくそこまで到達した。

その後様々な可能性があったが、約1年間のブラジル生活を終え帰国し、2018年シーズン半ばから再び湘南ベルマーレでプレー。

そしてワールドカップまで1年と迫った2019年。自身のさらなるレベルアップのために、ヨーロッパでプレーすることを決めた。

幸いにも日本とブラジルの経歴、そしてプレーするビデオを見てもらい、イタリア セリエA2 のレッジョ・エミリアに加入することが決まった。カルチョの国、伝統あるイタリアからすれば、フットボール後進国の選手を戦力として契約してくれるのは、大德のプレー、実力を認めてくれたということだ。

2020年に開催される(予定だった)フットサルワールドカップへの出場を目指して、新しい挑戦をはじめた。

帰国、そしてアスレへと加入

2020年、世界中に新型コロナウイルスによる感染拡大が進み、イタリアでも多くの死者が出た。

あらゆる活動がストップし、イタリアフットサルリーグも中断された。

大德は「日本代表選出とフットサルワールドカップで活躍する」という目標を叶えるために、帰国した。

そして10年ぶりに、自分の原点であるアスレでプレーすることを選んだ。

 

かつて自分を導いてくれた谷本は、テクニカルディレクターとして活動し、トップチームの先輩だった上福元俊哉も3年ぶりにアスレへ復帰した。頼りになるゴレイロ田中俊則はいまだに現役だし、クラブスタッフにも変わらない顔ぶれがある。ある意味故郷へもどったような懐かしい感覚だ。

ただ、あの頃と大きく違うのは、自分がもはや若手ではないということだ。結果を残さなければいけない立場だ。

そして自分の目標である日本代表入りのラストチャンスだと思って今シーズンはプレーをする。

アスレにはフットサル日本代表のキャプテンを務めた皆本晃がいる。自分と同じアラのポジションには、代表経験のある内田隼太もいるし、上村充哉、酒井遼太郎をはじめどの選手もレベルが高い。

今シーズン、日本代表経験のあるチームメイトたちを上回るプレー、目に見える活躍ができれば、まだ経験していない代表入りのチャンスがあると思っている。

 

大德はまだ、1度も代表合宿に呼ばれていない。しかし大德は1ミリもあきらめていないし、自分の可能性を信じている。

 

※記事内における組織名、肩書、数値データなどは取材時のものです。


大德政博のTwitterアカウント

TEXT&PHOTO KEN INOUE 2020.09.04