大德政博 1992年徳島県生まれ、千葉県浦安市育ち。小学生でサッカーを始めると、息子以上に父親が夢中になり、パパコーチとしてチームに関わるようになった。尊敬する父親は現在、不動産会社の経営者として活躍している。そんな父の背中を見て育ったからだろうか。セカンドキャリアは指導者というよりも、経営者としてスポーツに関わりたいと考えている。自身も宅地建物取引士の資格を持ち、株式会社エムディーネクストの代表を務める。現在は東京スタイル不動産に勤務している。

支援してくれる人のために、みんなを喜ばせたい。その先に初めて、自分の喜びが見えてくる。

フットサル選手は何のためにプレーするのか。

競技が好きだから。夢を叶えたいから。生活のため。理由は人それぞれだろう。

特に、多くの選手がプロ契約ではないFリーグでは、夢と現実の間で苦しむことも少なくない。

海外でプロ契約選手としてプレーし、今シーズンからアスレでプレーする大德政博は語る。

自分の目標のため、そしてこれまでお世話になった人たちのためにプレーしたい。

人との縁だけで、現在までつながってきたフットサル人生

高校サッカー部を引退した頃、コーチに言われた一言がフットサルを始めるきっかけだった。

大德はフットサルに向いているよ。

その言葉を受け、地元のバルドラール浦安セグンド(下部組織)の門戸を叩き、練習生となった。しかしサッカーと競技フットサルは似て非なるものだった。

子どもの頃からずっとサッカーはプレーしていたが、フットサル特有の動きができず苦労した。決して最初からうまくプレーできたわけではない。

当時、バルドラール浦安セグンドの監督だった岡山孝介氏(現トルエーラ柏監督)は大德に声をかけた。

試合経験を積めばもっと成長するから。

そうして紹介されたのが、千葉県リーグのLUFTだった。

そこで出会ったのが、後にアスレのトップチーム監督となる谷本俊介氏である。

谷本は都内でエンジニアとして働く傍ら、LUFTで選手兼監督としてプレーしていた。

LUFTでフットサルを学びながら、大德は千葉県選抜に選出されるなど急速に実力を伸ばしていった。

その後、谷本はチームを離れ、府中アスレティックフットボールクラブのクラブスタッフへ転身。本格的に指導者の道へ進んだ。

浦安の自宅から八王子の中央大学へ通学していた大德は、谷本を追うように府中アスレティックFCサテライトのセレクションを受け、入団することとなった。

アスレで出番を求め、伊藤監督とともに大分へ

昼間は大学の勉強と長距離通学。夜はフットサルの練習。休日は試合。

ハードな生活だったが、レベルの高い選手たちとプレーする喜びと激しい競争に、大德はますます競技フットサルの魅力に引き込まれていった。

競技フットサルを始めてから約2年。2012年5月、20歳の大德はトップチームへ昇格した。

2012-13シーズンのアスレは伊藤雅範体制2年目。開幕戦のFPメンバーには宮田義人、完山徹一、上福元俊哉、山田ラファエルユウゴ、星龍太、小山剛史、柴田祐輔、ロドリゴ、ダンタスといった実力者が並んでいた。

本格的に競技を始めてまだ2年。大德に出場機会はほとんど回ってこなかった。

トップ昇格を果たしたものの、1試合も出場機会を得られないままシーズン途中に再びサテライトへ登録を移す。しかしサテライトでは全日本フットサル選手権予選を勝ち進み、全国大会までプレーすることができた。

その選手権での活躍が認められ、翌シーズンから伊藤雅範監督とともに強豪・バサジィ大分へ移籍することとなる。

大分で味わったのは、自分の甘さだった。

Fリーグでの経験はまだなかったが、イキの良い若手として期待されていたのだろう。開幕戦では途中出場ながらFリーグデビューを果たした。

大学を休学して大分へ渡り、競技に集中できる環境と待遇を与えられた。

自分のフットサル選手としての道は順調に進んでいる。そう思い込み、どこかで慢心していたのかもしれない。

しかし、この年のバサジィ大分には仁部屋和弘、小曽戸允哉、中村友亮、ディドゥダら日本屈指の選手たちが在籍していた。新人の出場機会は限られていた。

もっと長い時間プレーしたい。

そう思いながらトレーニングに励む日々の中で、大德は自分とは次元の違う人間力に触れることになる。

あるオフの日。

チームメイトと外出し、明け方に寮へ戻ると、そこには黙々と周辺のゴミ拾いに取り組むキャプテン・小曽戸允哉の姿があった。

普段から小曽戸は誰よりも早く練習場へ向かい、他の選手が集まる1時間以上前からルーティンをこなしている。

背中で語る。

それが小曽戸のやり方だった。

どこまでも謙虚な小曽戸の姿は、大德の価値観を大きく変えた。

自分を律し、全身全霊でフットサルに向き合う先輩。

その一方で、自分は遊びに出かけ朝帰りをしている。

その差を突きつけられたとき、大德は根本から考え方を改めた。

支援してくれる人たちがいるから、プレーできる

自分は誰のおかげでプレーできているのか。

すべては支援してくれる人たちのおかげだった。

競技にはユニフォームや練習着、シューズ、施設利用料、遠征費などさまざまな費用がかかる。

千葉で競技フットサルを始めた頃は、会費を払い、ウェアや用具も自分のお金で購入していた。それが当たり前だった。

しかし、バサジィ大分ではそれらを自分で負担する必要がなかった。

逆に言えば、それらはすべて誰かが稼いだお金で賄われているということだった。

クラブがスポンサーを募り、スポンサー企業が協賛金を支払う。

ファンがグッズを購入し、チケットを買う。

スクール事業の収益もある。

数え切れないほどの人たちが働いて生み出したお金。その積み重ねによって、自分たちはプレーできている。

誰よりも早くトレーニングを行い、休日には周辺の清掃活動を続ける小曽戸。

そして小曽戸よりもさらに早く練習場へ来て、鍵を開け、まず練習場を掃除する伊藤監督。

その姿を見て、自分がいかに恵まれた立場にいるのか、その重みを理解した。

受けた恩は、プレーでしか返せない。

そう考えるようになった大德は、やがて伊藤監督よりも早く練習場へ向かうようになった。

湘南ベルマーレへの移籍、そしてブラジルへ

支援してもらえることへの感謝を胸に戦った2年目。

出場時間も増え、徐々にチームへ貢献できるようになった。

しかし大学は2年間しか休学できない。

翌シーズンからは大学に通える関東のクラブでプレーすることを希望した。

伊藤監督が湘南ベルマーレフットサルクラブへつないでくれ、2015-16シーズンから緑と青のユニフォームに袖を通すこととなった。

湘南では主力として2シーズンプレーした。

安定した生活。家族のようなクラブ。熱いサポーター。

すべてに満足していた。

しかし同時に、このままでは夢を叶えられないのではないかという危機感も抱いていた。

自分がフットサルを続ける以上、フットサル日本代表に選ばれ、ワールドカップに出場し、勝利に貢献したい。

その道筋が、はっきりとは見えてこなかった。

このままFリーグでプレーしていれば、いずれ代表合宿には呼ばれるかもしれない。

しかし、今の自分ではその先へ進めない。

ワールドカップで活躍できるレベルには、まだ届いていない。

安定と引き換えに危機感を募らせた大德は決断する。

環境を変えよう。

フットサル強豪国へ飛び込もう。

そしてブラジルでプレーすることを決めた。

2017年9月24日。

古巣・大分との試合に勝利した後、入団テストを受けるためブラジルへ旅立った。

異国での経験は、大德を精神的にも大きく成長させた

実はアスレサテライト時代、1か月ほどブラジルへフットサル留学した経験があった。

観光もなく、ひたすらボールを蹴り続ける日々だった。

あれから何年も経ち、日本のトップレベルでプレーしてきた。

自分のドリブルやスピードは、ブラジルでもある程度通用する自信があった。

しかし現実は甘くなかった。

フットボール後進国から来た選手など相手にされない。

観客から野次を飛ばされ、アウェイゲームでは中指を立てられることもあった。

それでも練習を重ね、コミュニケーションを取り、自分らしいプレーを見せられるようになると、チームメイトやファンも少しずつ心を開いてくれた。

重要な試合でゴールを決めると、熱烈に応援してくれるようになった。

言葉はほとんど分からなかったが、プレーに必要な言葉を覚え、最終的には外国人選手として契約を結ぶまでになった。

単身ブラジルへ渡って数か月。

ようやくスタートラインに立てた。

その後、さまざまな可能性があったものの、約1年間のブラジル生活を終えて帰国。

2018年シーズン途中から再び湘南ベルマーレでプレーすることとなった。

そしてワールドカップまで約1年と迫った2019年。

さらなるレベルアップを求め、大德はヨーロッパ挑戦を決断する。

加入したのはイタリア・セリエA2のレッジョ・エミリア。

カルチョの国・イタリアから見れば、フットボール後進国である日本の選手を戦力として契約することは簡単なことではない。

それだけ自分のプレーと実力を評価してもらえたということだった。

2020年に開催予定だったフットサルワールドカップ出場を目指し、新たな挑戦が始まった。

帰国、そしてアスレへ

2020年。

世界中で新型コロナウイルスの感染が拡大した。

イタリアでも多くの犠牲者が出て、あらゆる活動が停止。リーグ戦も中断された。

大德は日本代表選出、そしてワールドカップで活躍するという目標を叶えるため帰国を決断する。

そして10年ぶりに、自らの原点であるアスレでプレーすることを選んだ。

かつて自分を導いてくれた谷本俊介はテクニカルディレクターとして活動し、トップチームの先輩だった上福元俊哉も3年ぶりに復帰した。

頼れるゴレイロ田中俊則はいまだ現役。

クラブスタッフにも懐かしい顔ぶれが並ぶ。

まるで故郷へ戻ってきたような感覚だった。

しかし、あの頃とは大きく違うことがある。

もう若手ではない。

結果を残さなければならない立場になった。

そして今シーズンを、自身の目標である日本代表入りへのラストチャンスだと捉えて戦う。

アスレにはフットサル日本代表キャプテンを務めた皆本晃がいる。

同じアラのポジションには代表経験を持つ内田隼太もいる。

上村充哉、酒井遼太郎をはじめ、どの選手もレベルが高い。

その中で結果を残し、日本代表経験を持つ選手たちを上回る活躍ができれば、まだチャンスはある。

大德政博は、まだ一度も日本代表合宿に招集されたことがない。

それでも、自分の可能性を疑わない。

支えてくれた人たちへの感謝を胸に。

夢への挑戦は、今も続いている。

※記事内における組織名、肩書、数値データなどは取材当時のものです。

TEXT & PHOTO KEN INOUE 2020.09.04