ジョナタン ナシメント ダ シルバ、愛称はジョー。1991年サンパウロ州で生まれ育ち、サッカー、フットサル選手として幼い頃から活躍。その後スペインへ渡り、ロシア、イラン、フランス各国でもプレーした。新天地に日本を選んだのは、オファーのあったアスレの雰囲気がよかったから。今は愛する家族と離れて暮らしているが、まもなく妻子も来日予定。9月24日は愛娘4歳の誕生日。きっと30日のバサジィ大分戦では家族に捧げるゴールを決めてくれるだろう。

世界を知る男がアスレにやってきた。

やはりスーパースターは違う。
先日のFリーグ大阪セントラル開催では、元ブラジル代表ロベルト・カルロス選手がFリーグ選抜チームに参加し、大きな話題となった。いくらあの『ロベカル』といっても、現役を引退して7年も経った選手が公式戦で戦えるのか?実際、彼がピッチに入ってからすぐにトラップミスでボールを失うなど、やはり勝点の掛かった公式戦を戦えるコンディションではない、そう感じさせた。
しかし、そんな外野の心配をよそに、いきなり鮮やかな胸トラップからの股抜きシュートを叩き込むと、後半にも自身キャリア2本めという右足でのゴールを決めた。わずか6分少しのプレー時間で2得点。Fリーグ選抜がヴォスクオーレ仙台に2-1で勝利する原動力となった。
さすがは、レジェンドプレーヤー。
恐らく技術や体力を超越したトップアスリート達だけが持つ「特別な能力」なのだろう。それは精神力かもしれないし、人知れず努力を続けられる才能かもしれない。あるいは、野生の勘のようなものかもしれない。
スーパースターの大活躍にアリーナは湧き上がり、久しぶりにFリーグのニュースがTVやネットニュースを賑わせた。

遅れてやってきた大物外国人選手

もちろん、ロベカル以前にもFリーグには多くの外国人選手がプレーしてきた。2010年に名古屋オーシャンズに加入したリカルジーニョを筆頭に、多くの選手が海を渡って日本にやってきた。
しかし、サッカーと違い日常的にスペインのフットサルリーグをTVで視聴できる環境はなく、さらにメディアの扱いも皆無に等しいため、仮に「バルセロナの選手」といってもフットサル選手の知名度は低い。その実は世界的な経験と実績があったとしても、誰も知ることができないのが現実だ。

例えば、8月にアスレに新加入した、ジョナタン ナシメント ダ シルバ。
彼は2016-17シーズンの、フットサルフランスリーグ得点王であり、リーグMVP選手だ。おまけにまだ26歳と若い、現役バリバリの一流選手だ。
ちなみに、同年のサッカー フランスリーグアン、得点王とMVPを獲得したのはパリ・サンジェルマンのウルグアイ代表FW、エディンソン・カバーニである。先のロシアワールドカップで、スアレスからの高速クロスをヘディングで叩き込んだ見事なゴールシーンを覚えている方も多いことだろう。
少し乱暴だが、カバーニのような実績を持つ選手がアスレにやってきたといっても大げさではない。
この夏来日したジョーは、8月15日に選手登録が完了すると、18日のシュライカー大阪戦に出場し、周囲との意思疎通ができてきた4戦目の湘南ベルマーレ戦では、ワンタッチでマークを外し豪快なFリーグ初得点を挙げると、さらに後半にもゴールを決めた。
翌日の大阪戦でも先制点を挙げると、翌週のエスポラーダ北海道戦でも決勝点となる2点目を決めるなど、3戦4発。いきなり大車輪の活躍をしている。ジョーの活躍と歩調を合わせるようにチームは3連勝をし、好調を維持している。PIVO(サッカーでいえばセンターフォワード)らしいゴール、しかも重要なゴールをあっさりと決める姿は本当に頼もしく、まだ26歳ながら、救世主といっていいだろう。

幼い頃に父親を亡くし、サッカーに打ち込んだ少年時代

ブラジル、サンパウロ郊外に生まれたジョーは、当たり前のように3歳の頃からボールを蹴り始める。ブラジル人だから当たり前なのだろう。6人姉弟の末っ子。ジョーの父親は地元の小さなクラブの監督でありGMでもあった。息子の才能を感じた父親は7歳になったジョーをチームでプレイさせた。
しかし、ほどなくして、その父親を病で失うこととなる。
まだ幼い少年はとても悲しんだが、彼の兄や姉たちが小さな弟を心配して、悲しむ暇が無いくらいサッカーをプレーする環境を与えてくれた。もちろん悲しかったが、家族の思いに応えるためにもと練習し、試合では活躍し成長を続けた。
ちなみに、ブラジルではフットサルもサッカーも両方やるのが当たり前だ。フットサルでテクニックを磨いたジョーは、サッカーでもフットサルでも選抜チームに選ばれ、プロ選手になることを当然のように目指していた。
幾度となくチャンスは訪れた。しかし、同年代の中では身長が低かった彼は、あと一歩のところでサッカー選手としての契約を勝ち取ることができなかった。
しかし、フットサル選手としては卓越した結果を残し、ありとあらゆる大会で得点王や個人賞を獲得するようになった。

ついに海外へ。プロフットサル選手としてスペインへ

そうしてひたすらプロになるためにプレーしていたジョーが20歳になったころ、転機が訪れた。
彼の能力に着目したクラブからのオファーが届いたのだ。そのクラブはFCバルセロナ。
世界的に有名なクラブであるFCバルセロナは、サッカーだけでなくフットサルでも一流クラブとして輝いている。ジョーは世界の一流選手が集うスペインのフットサルリーグ、その強豪であるバルセロナでプレーするチャンスを掴んだのだ。
しかしまずはバルセロナのBチームからのスタートとなった。ちなみに、先ごろ日本代表PIVOの清水和也選手が、フウガドールすみだからスペインのエルポソ・ムルシアへとレンタル移籍を果たしたが、彼もまずはBチームからのスタートだ。やはり、スペインでの経験のない若い選手は、まずBチームでスペインのフットサルや環境に慣れることが必要だ。
しかし、就労ビザの関係で、バルセロナBでの選手登録を許されないという不運があり、同じスペインリーグ1部のMarfil Santa Coloma(マルフィル・サンタ・コロマ)へとレンタル移籍された。サッカーでもよく聞く話である。
すぐさまジョーはチームに適応し、カタルーニャカップ決勝では、そのバルセロナに勝利して優勝するなどスペインでもすぐさま目覚ましい活躍を始めた。その年、チームは下位に沈んでいたが毎節のようにゴールを挙げ、上位に進出できた。14ゴールはシーズン途中からの加入ながら、チーム内得点王だった。

紆余曲折を経てフランスでも才能が爆発する

世界最高の舞台であるスペインで自らの能力を証明した。その後もジョーは様々な国、クラブでプレーした。ロシア、イランでプレーした後に骨折をしていたこともありブラジルへと戻った。
スペインリーグで実績を残した選手だから、骨折中ということながらオファーを受け新たに契約も結ぶことができた。しかし彼の体調が戻ったころ、契約トラブルや給料未払いなど問題が発生し、行き場をなくしたこともあったという。既にシーズンは開幕直前、どのクラブも新チームの構成は決まっている。今から新しいクラブを探すのは容易なことではない。
悲嘆に暮れるジョーのもとに魅力的なオファーが訪れた。
世界最高峰の舞台であるスペインよりはレベルが落ちるかもしれないが、欧州で実力のあるフランス1部リーグに所属するToulon Elite Futsal(トゥーロン)からのものだった。
ジョーは快諾し、フランスに渡ると己の実力を証明するがごとくすぐさまゴールを量産した。スペインに渡ったときと同じ様に。1試合で2点取るのは当たり前。そんなレベルだった。
シーズンが終わってみると21試合出場して47得点。堂々のリーグ得点王であり、さらにシーズンMVPを同時受賞し、誰もが認めるトッププレーヤーとなった。
さらにシーズンオフにはインド・プレミアフットサルにも参加。
こちらは短期間のリーグだが、ロナウジーニョ、ライアン・ギグス、ポール・スコールズ、エルナン・クレスポなど各国のレジェンド選手とともに戦うリーグへと呼ばれることとなった。
このチームでジョーは、イングランドのレジェンドであるポール・スコールズのチームに参加し、このシリーズでも得点王に輝いている。
どこであれ得点を重ねる、生まれつきの点取り屋。それがジョーなのだろう。

そして日本へ。アスレでの生活。

フランスでの2シーズンでカップ戦も含めると95得点を決めた点取り屋は、新しい環境へのチャレンジを考えた。思いがけず日本からのオファーを受けたからだ。そんな世界的なプレーヤーであるジョーが日本でプレーすることを選んだ。日本は祖国ブラジルからは最も遠い。しかし、同郷の選手、交流のある選手がたくさんいた。
湘南ベルマーレのロドリゴ選手は子供の頃からの友人だ。さらに同じく湘南のフィウーザ選手、ペスカドーラ町田のアウグスト選手、昨年バルドラール浦安に所属していたケニー選手など、彼らはブラジルのつながりだったりスペインでのプレー経験があるなどジョーとは親交があった。
実力あるPIVOを求めていたアスレからのオファーを受けて、日本を知る友人たちに相談すると皆、口を揃えて日本のフットサルのレベルの高さや環境の良さを絶賛してくれた。
そして家族も日本行きに賛成してくれた。たしかに、スペインやブラジルのようにフットサル先進国ではないが、日本のレベルは決して低くない。プレーヤーとしてのキャリアにプラスになることはあってもマイナスにはならない。
Webや動画でクラブのチームメイトを、Fリーグのことを熱心に調べたジョーは、アスレへ行くことを決めた。
Fリーグにはブラジル人選手はとても多い。現在のアスレにも、ブラジル出身のクロモト、マルキーニョがいる。そしてGKコーチのマルコスもブラジル出身だ、ファミリーのようでとても居心地がいい。
そして何より、選手たちが自分をリスペクトし、とてもよくしてくれる。チームの勝利のためにどうすればよいかよくわかっている。
スペインリーグでのプレー経験がある皆本晃はもちろん、名古屋オーシャンズに在籍経験があり、外国人選手とのコミュニケーションに慣れている完山徹一や渡邉知晃は、プレーに関することであればポルトガル語での意思疎通が図れる。積極的に話しかけて自分が早くチームにフィットできるように努力してくれるのがよくわかる。
さらには、ポルトガル語は一切わからないのに、新しく加入した自分をリラックスさせ、よいパフォーマンスがでるようにいつも気にかけ声を掛けてくれる酒井遼太郎のような選手がいる。何を言っているのかよくわからないが、彼はとてもsimpáticoな男(いいヤツ)だ。
そんなチームメイトのためにも、自らの経験を伝えてタイトルを獲得したいと思っている。
だから、このクラブの役に立ちたい。チームメイトはもちろん、自分と自分の家族のために色々と働いてくれるクラブスタッフ、そしてファンやサポーターのためにも、1点でも多くの得点を決めたい。
9月24日は愛する娘の誕生日だ。次の試合にはまだ間に合わないけど、きっと誕生日プレゼントにゴールを決めることだろう。
そしてまもなく妻子が日本へやってくる。
その時こそが、ジョーの本領が発揮されることだろう。フランスリーグ得点王、MVPは伊達ではない。
ロベカルは1試合だけで帰ってしまったが、立川・府中アスレティックFCには、世界を知る男がいる。彼のプレーは立飛でいつも見ることができる。
ぜひ、ジョーのプレーをアリーナ立川立飛で見ていただきたい。

※記事内におけるチーム名、肩書、数値データなどは取材時のものです。


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TEXT&PHOTO   KEN INOUE  2018.9.25